先日友人と話していて、経営層のメッセージが気合いだ根性だと気持ちに寄っている、という話しを聞いた。似たようなことは私も社会人になってから幾度となく経験しているので、一度考えてみた。
およそ感情ではどうにもならない、プログラムで動くだけの "ソフトウェア" というものを扱っている IT 企業でも、経営層が気合いと根性を発信しているのを Twitter や発表の場でよく目にする。
不思議に思ってきた。
スタートアップが直面するハードシングスは、どこかのネジが飛んでいないと乗り越えられない、とよく聞く。
だから、気合いと根性は実際必要なことは、歴史が示しているのだろう。
気合いと根性だけではソフトウェアプロダクトは動かない。 何も考えずに動くだけのものを作ってもいい。 デスマーチで作ることができるという意味では、気合いと根性で作れるとも言える
残念ながら、SaaS はそれでは成り立たない。 気合いと根性でメンテナンスするプロダクトは高い価値を生み出し続けることはできない。 と私は信じたい。
これは、ソフトウェアエンジニアリングという専門領域の外に居る人にとっては、理解しにくい話なのだろう。
最近、『資本主義の中心で、資本主義を変える』(清水 大吾 (著))という本を読んだ。
この本では、日本の商習慣について、「是々非々ではなく、馴れ合いで意思決定がされる」ことが、日本の経済成長、企業の成長を妨げている要因だと指摘している。
この日本の商習慣は、スタートアップであろうと同じで、そもそも日本人の考え方に根付いているところでもあると思う。意思決定にといて、義理と人情が占める割合が非合理と思えるほどに大きい。
IT プロダクトを IT に詳しくない人に売るような場合(ソフトウェアエンジニアリング向けのサービスを提供している日本企業は知らないので、ほぼ全ての日本企業がそうと言える)、ものの良し悪しはさらに判断が付きづらいので、この傾向は強まり、営業マンが売るためのスキルには義理と人情も必要になる。
すると、気合いと根性、勢い、気持ち、これらでなんとかなるような認識を持ってしまう。
実際なんとかなるのかもしれないが、なんとかなった先のソフトウェアプロダクトは、高給につられたエンジニアがその力を最大限活かさないまま緩やかに成長するプロダクトになるのではなかろうか。
それが悪いとは言わない。社会的インパクトは間違いなく生み出しているわけだし、新たな雇用も生み出している。ただ、好きではない。SaaS が Sales Led Growth というのは、いかがなものか。
では、気合いと根性なしに、合理的な人間が合理的な意思決定を繰り返せば良いかというと、そうでもない。 正論と合理を突き詰めた先に、イノベーションは生まれないし、ハードシングスは乗り越えられない。
緻密な経営計画を説明されて、心沸き立つ社員は私のような少数派だろう。多くは、ふわっと盛り上げてほしいのだ。人間は感情で動く生き物だから。
要はバランスであり、トップや経営層は、組織の勢いやムードを前向きにするため、気合いだと発破をかけ、その下にいる実行部隊(エクゼキューション)が結果を出すためのシステムを作っていかないといけない。
気合いだと言うのは正解で、社員全員が「気合いだ」と頑張れれば、とても強力な推進力を生む。
ただ、気合い「だけ」だと駄目で、その推進力を向かいたい方向にコントロールするための実行と両輪がなくてはいけない。